「BURN」― 滅びの美学

稲葉さんは時々お坊さんのような歌詞を書く。
それが私は好きだった。
あるがままという考え方だったり、「どんなジャンルもない」って考え方には、仏教的なものの考え方や感じ方と通底するものがある。
「夢だろうすべては生まれてくること死ぬこと」なんてのもそうだった。

稲葉さんがどこまで意識しているのかどうかは分からないけれど、博学な稲葉さんのことだし、今回は「あえて」ってところがあるような気もする。
私はここで稲葉さんが仏教の教えを説いていると言いたいわけじゃない。あくまでも、仏教的な志向と通底するものがあるという意味で言っている。
「BURN」に示されたこの世のすべてが変わり続けていくという考え方は、まさに無常観。
あえて無常観であることがリスナーに伝わりやすくなるように、表現されている気がする。

「哀しきDreamer」と決定的に違うのはそこ。「哀しきDreamer」には、既成概念を捨て、どんなジャンルもとっぱらって、ものごとをあるがままに感じようとする志向が表現されていた。それは仏教的志向であり哲学だ。しかし、あれは難解で、一般ウケはしない。
「BURN」は表現を難解にせず、リスナーにあえてわかりやすくしている気がする。

万物は流転する。
常に同じであり続けるものはない。
みな時間の浸食を受けて、変わっていく。
いずれ、色は褪せ、命は尽きる。
すべては滅する。
だからこそ、せめてあなたの心の中でだけは不滅でありたい、永遠でありたいと言う。
仏教色そのまんまじゃなくて、こうした生々しい感情が素直に表現されるところも、いかにも稲葉さんらしい気がする。

己がいずれは滅するという無常の運命を知っているからこそ、生きている瞬間瞬間で輝く。
「時間が切り取る鮮烈な傷口」とは、まさにその瞬間の美しさのことを言っているのだろう。

「消えることない色 そんなのどこにある」、こうしたカラーに関するワードも、色即是空、空即是色を髣髴とさせる。
この世にあるすべての物質は、空(くう)であるという考え方。
この世のこうした真理に気づいている語り手だからこそ、 「せめてあなたのなかでは特別な色でありたい」という言葉は、思わず出た本音なのだと感じさせられる。

「血よりも紅く」も、肉体の手触りやぬくもりにこだわる稲葉さんらしくて好き。


この世の無常という真理を把握していても、割り切ることのできない人間らしい感情が表現されていて、私はとても好きな歌詞。
そして、人の心がすべてを決めていくという稲葉さんのいつもの考え方に収束されていく。


でも、すごく孤独感を感じる歌詞でもある。
本当は不滅の存在になりたいんだけど、そうなれない歯がゆさのようなものを感じる。

せめてあなたの中では不滅でありたいという発想は、なかなか出てこないと思う。普通だったら逆に、「あなたのなかで不滅になれたらそれでもう最高」という表現になると思う。

つまり何が言いたいかと言うと、「せめてあなたの中では」という表現には、その背後に「本当はあなたの中だけではなくて、不滅の存在になりたいんだけれど」という気持ちがあるような気がする。
でも、無常のこの世では、とてもそんなことは無理だから、「せめてあなたの中では」って表現になっているのでは、と思ってしまう。
特に稲葉さんの場合、「すべてを決めるのは心」っていう考え方だから、不滅の存在に唯一なれる方法は、「人の心に刻まれること」しかないんだと思う。

そして今回の場合、持ち前の謙虚さの表れから「せめてあなたの中では」って言ってるんじゃなくて、あくまでもそれしかフメツの存在になる方法がないから、そういう表現になった、って感じがする。
初めてこれを聞いたとき、「せめてあなたの中では」って言うのは、なんて哀しくて孤独な発想なんだろうと思った。

この世界から去っても忘れられたくないという執着心は誰もが持っているものだけれど・・・それともまた少しニュアンスが違う気もする。

まるで、この世の無常の真理をすべて悟ってしまったからこそ、いつか滅することの運命から逃れられないことを嘆いているような・・・そんな感じを受ける。
滅びへの焦りとも、あきらめともつかない・・・。
赦しを乞うているのか・・・。
祈りのような気もする。

これが赦しを求める祈りだとしたら、めぐりめぐって、やはり神は「あなた」なのか。
滅することから救い、不滅であることを赦す神。


※この文章は、2008年05月04日に稲葉浩志中毒のtoriさんのブログで紹介していただきましたものをそのまま掲載しています。

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