「CHUBBY GROOVE」考察前編-眠らない語り手

寝たり起きたりしているなあ。
これが、「CHUBBY GROOVE」を聴いた時の最初の印象だ。
睡眠に関するワードや、睡眠を想起させる状況が描かれている曲が多い。
“あ、起きてる”とか“今度は眠そう”とか、“目を覚ましたがってるなあ”なんて思いながら聴いていた。

こんなことを言うと誰かに怒られるかもしれないが、歌詞についてはかなり躁鬱的なものもあるように感じた。
躁鬱と言って悪ければ、ローかハイか。どん底か天上か。あるいは寝てるか起きているか。

「シラセ」や「MY HERT YOUR HERT」のように、これはローでもハイでもなく、フラットなのかなと思わせるような歌詞もある。
でも「シラセ」は起きた直後のまどろみ感があり、「MY HERT YOUR HERT」は子守歌が意識されて作られていて、まどろむ直前という雰囲気だ。やはり睡眠を想起させる、という意味ではローなのかもしれない。
ハイになる必然性がないときには、こんなふうにまどろんだりするんだな、と感じた。

「CHUBBY GROOVE」はサラスの曲先行で、そこに稲葉さんが歌詞を入れていった作品だ。
唯一、「OVERDRIVE」のタイトルだけはサラスが考案したようだ。
それ以外のところでは、サラスの曲のイメージとずれないような意味や音を持つ言葉であるかをサラスが稲葉さんに確認するといったことはあったようだ。しかし、やはり稲葉さん自身の語彙であり、表現によって作られている作品だ。

インタビューで稲葉さんは「OVERDRIVE」について、寝ないでハイになっていくサラスのことを描いたというようなことを言っていた。
だけれども、もちろん、サラスが自分の言葉で書いたサラス自身がここに表現されているわけではない。
稲葉さんが見たサラスを、稲葉さんのフィルターを通して、稲葉さんの語彙で表現すると、こういうモデルになるということだ。

「OVERDRIVE」は、稲葉さんが見たサラスが描かれると同時に、私たちが過去に何度も出会ってきた稲葉歌詞の例の「僕」が二重写しになっていると私は考えている。

特に「何も食べないで眠らないで思い出してみて」と言ってハイになっていく「さまよえる蒼い弾丸」の「僕」と、「一睡もしないで火をつけりゃいい」と言ってハイになる「OVERDRIVE」の彼は、そっくりだ。


今まで何度も稲葉さんの(特に少し前までの)歌詞の中で
ローからハイになっていく例の語り手に私たちは出会ってきた。
ローからハイに瞬間移動していく(ように見える)語り手を見つめながら、
どうやって切り替えているんだろうと私は思っていた。
具体的な方法はなんなんだろうと。
実際私はそんなに簡単に切り替えはできない。
人によってその方法は様々なんだろうけれど。


このローからハイへ瞬時にぶっ飛ぶ、というのが、ここ最近の稲葉さんの歌詞ではあまり描かれなくなっている気がする。(ちゃんと確認はしてない。)B’zのアルバム「EPIC DAY」も、どの作品も比較的穏やかに元気を出していくような印象だった。

だから「CHUBBY GROOVE」で両極端な語り手に再会して、私は懐かしかった。
懐かしいけれど今までとは違うとも感じた
「CHUBBY GROOVE」では、ローからハイにスイッチを切り替えるやりかたが、かなり意識的、意図的であると感じた。
意志とは無関係にいつの間にか切り替わったりはしない。
あるいは段階を踏んで切り替えていくのでもない。
方法が分からなくてニヒリズムに浸りきることもないし、
自己戯画化してげらげら笑いだすわけでもない。

そして、たぶん、狂ってもいない。

こうすればきっとスイッチが入る、ということがちゃんと分かっていてその自覚の上で方法を意識的に選択しているように思う。
その方法がかなり具体的に示されている。

「CHUBBY GROOVE」で、語り手のとっている方法を私は今のところ以下のように読み取っている。

1、寝ない。
2、やめる(あるいは捨てる)。 
3、完璧さの記憶。
4、ぶっ壊される。

これら4つの方法についても順を追って書いていくが、
まずはローの状態のときから話を進めたい。


「CHUBBY GROOVE」において、世界は基本ヘビーだ。

「意地の悪い世界に吐き気を催して」(「SAYONARA RIVER」)
「全くこの世は蟻地獄」「人生が静かにしぼんでいくのを黙って見てるのは辛い」(「OVERDRIVE」)
「最低の日々から抜け出したい」(「MARIE」)。
「生きるのは辛い」(「BLINK」)
「思い通りの答えじゃないと不機嫌なフェイス みなさん余裕がない」(「EROOR MESSAGE」)。
誰かがヘマしたら笑って磔にしようとする「そんな空気」(「WABISABI」)がこの世に満ちている。

抑鬱状態のときには特に世界がこのように感じられる。
あるいは、こんな意地悪で身勝手な世の中だから抑鬱状態にならざるを得ない。
こうなるともう何をする気力もなくなる。増悪(病状が悪化すること)一直線だ。
「力抜いて 増悪に 侵されてしまいたい」という「BLINK」のような状態になる。投げやりになる。
「なにもかもどうでもよくなり 燃え尽き」(「SAYONARA RIVER」)そうになる。

闇の中、注意しろと知らせる赤い灯りの点滅がやけに気になる。
(ちなみに信号の赤い点滅は【歩行者は、他の交通に注意して進行することができる】
【車両等は、停止位置において一時停止しなければならない】である。)

明滅する赤い灯りを気にする語り手から、激しい焦燥を私は感じる。
なんとかしなきゃいけないのに、「疲れ果てた自分の中身 必死になって見つめる」くらいしかできない。

こんなとき、友のために夕陽に向かって走るなんて絶対に無理だ。
「おとぎばなしさ メロスなんて」
誰かのために、なんて無理。走るなんて無理。それどころじゃない。
自分のために一歩踏み出すのでさえものすごいエネルギーがいる時なのだ。元気に頑張れてる人を見ると辛い。

こんなときは「歩道に立つ」だけで精一杯だ。
むしろ、歩道に立てるだけでもすごい。抑鬱がひどければ人は寝ていることしかできないのだから。

「無音で過ぎる車」とあるから、静かなのだろうし、おそらく深夜なのだろう。
夜は普通、暗いものだ。だから人々は寝る。
しかし語り手にとって夜は今、「眩しい夜」である。眩しければ眠らない

語り手は、真夜中に、起きている。
眠ろうとせず、外に出て、歩道に立ったのだ。
家のベッドで横になったままでなんとか眠ろうとなんてしてない。寝てたら一歩は踏み出せない。起きてなければならない。
寝ていては「私だけのストーリー」は始まらないということを彼は知っている

(そういえば「BLINK」の歌詞を作っている時、アルバム作成の過程で精神的に追い詰められていたと稲葉さんはインタビューで語っていた。)

「BLINK」の語り手は、寝ないという選択をした。
彼は寝ないという選択を自らし、「闇に向かっても踏み出して行くしかない」と決意する

繰り返しになるが、「CHUBBY GROOVE」の語り手は、自分がローになってしまった時に、どうやってハイ(あるいは元気出す、くらい)に切り替えられるのか分かっている。分かっていて、意識的にやっている。
方法は4つ。

1、寝ない。
2、やめる(あるいは捨てる)。 
3、完璧さの記憶。
4、ぶっ壊される。

次回はこの4つことについて触れる。「CHUBBY GROOVE」考察後編―雄風を感じる時 参照

2017/02/28

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