「THE CIRCLE」-破滅と再生の技 潜在的可能性への旅

B'zの曲には、『ヒミツなふたり』の「あ~しょうがないね」など、へんてこなコーラスがいくつもあります。
歌詞にするにしては斬新と思えるような言葉を音楽に乗せるのは、稲葉さんのお得意の作詞法ですよね。

今回のアルバム、『THE CIRCLE』収録の『白い火花』の“もったいないね~”というコーラスを聞いた時も、私はやっぱり相当へんてこな感じがしました。
FM FUJIのサタデーストームというラジオ番組のなかで、山本シュウさんもこのコーラスについて突っ込んでいます。

以下、私の記憶によりますので、放送内容そのままではありません。

シュウさん「びっくりしたわー。稲葉っち、何言うてるの?“もったいないね”言うてますか」
稲葉さん「うん」
―中略―
稲葉さん「“もったいない”って、世界共通語にしようってニュースでやってた。国連かどっかの大使が、“はい、みなさん一緒に『モッタイナ~イ』”って。もったいないって、全く同じ意味の言葉が日本にしかないんだって。」


Yahooなどで検索すると、ケニア環境副大臣が国連の演説で、日本語の「もったいない」を環境保護の合言葉として紹介し、会議の参加者とともに唱和したっていう内容の記事が出てきます。

でも、そのへんてこさが不思議と耳をひきつけ、心地よさを与えてくれるんですよね。
この“もったいない”という言葉なのですが、もともとは禅の哲学の「勿体(もったい)」という言葉から来ています。
「勿体」と書いて、潜在的価値の可能性という意味があります

潜在的価値の可能性は、秘められた才能とか個性と言い代えても良いと思います。

禅の哲学では、すべてのものに「勿体」があるとされています。
誰にでも、秘められた才能や個性があるということです。
人間だけじゃない。ありとあらゆる動物や植物にも。大根にだって、食べられて人間を生かすという「勿体」があります。いや、生き物だけではなく、机にだって鉛筆にだってパソコンにだって、それぞれの固有の特質があり、それは非常に私たちの生活を便利にしてくれています。

森羅万象すべてのものに「もったい」(隠れた才能・個性)があるのだから、それを無駄にするのは「もったいない」よ、というのが禅の哲学の考え方です。

稲葉さんが「もったい」という言葉自体をどこまで意識されていたかは分かりません。
しかし、「もったいない」という考え方、つまり、すべてのものに潜在的な可能性が秘められているという考え方は、以前から稲葉さんの歌詞で表現されてきたものです。

たとえば、『野性のENERGY』という言葉は、まさに「もったい」そのものを表しています。
語り手は、自分自身を諦め続けて、自分の秘められた才能や個性をおしこめてしまっていました。
しかし、「君」との出会いをきっかけに、彼はおしこめていた「野性のENERGY」―すなわち、自分の可能性に気づいていきます。

こうした森羅万象すべてのものに潜在的な可能性が秘められているという考え方が、アルバム『THE CIRCLE』を貫く軸になっていると考えています。

1、世界の潜在的可能性
潜在的な可能性をあきらめてしまうか、あきらめないか。
己の認識で、世界はその色彩を変えていきます。

『睡蓮』には 「艶やかな花びら」が咲き、「色とりどりの鯉」が泳ぎ暮らし、さまざまな色彩に満ちた美しい世界が広がっています。
それは、安らぎや不安、ふとした寂しさなど、愛する人とともにいる時に感じるさまざまな感情が、語り手を満たしているからでしょう。
愛する人とともにいるなかで、世界が色彩豊かになっていきます。

『LOVE PHANTOM』の主人公は、「君」に出会うまでは「花も色褪せていた」と言います。
大切な人に出会うことで、花は美しく彼の目に映えるようになります。しかし、花の色は、最初からあせていたのではありません。
いかようにも美しく感じられるはずの潜在的な可能性を、自分自身が気付かなかっただけなのかもしれません。
変わったのは花の色ではなく、彼の心だったのでしょう。

『LOVE PHANTOME』の主人公がそれまでとは違って花の色を美しく感じ始めたのも、『美しき世界』の恋人たちが、「泣けてくる世界」を「美しき世界」に変えていけたのも、『I'm on fire』の語り手が「世界の配色は変わ」ったと言うのも、愛する人とともにいるなかで生じる様々な感情が、世界を色鮮やかに映したということではないでしょうか。

心次第で、世界の色彩は『睡蓮』のように美しくもなれば、『BLACK AND WHITE』のように、白黒の味気ない世界にもなり得ます

『BLACK AND WHITE』には、 「グラスを割ったホシ」を捜すことにやっきになる人物が登場します。
「ママのミルクをこぼしたのは誰なの?」という言葉から心理的離乳のできていない人物を想起させます。
この人物は、犯人は誰か「白黒」をはっきりつけたり、「勝ち負け」を決めたり、「善悪」でものごとを割り切ることを求めています。

あれかこれか。そんなふうに“ものごとをどっちか一方にあてはめる”思考にしばられることで、この人物は気付かないうちに、あらゆるものの潜在的な可能性を切り捨ててしまっています
その人を「悪」と判断したらその時点で、その人に備わったやさしさなどの潜在的な可能性を、切り捨ててなかったことにしてしまうのではないでしょうか。
善か悪か。そのどちらか一方だけで判断することのなかに、落とし穴がひそんでいます。

いたずらに二項対立的にものごとを価値判断することを、語り手は「何かが欠けた正義感」として批判します
このことは、『アクアブルー』でも「何ひとつ見てないで 正義や大義ふりかざす 哀しみ知るべし」と表現されます。
ここでも、「哀しみ」を忘れたままの二項対立的な価値判断の仕方が否定されています。

この世界のすべてのものを「白黒」はっきりさせるということは、『睡蓮』の世界に溢れていた美しい色彩を、無理矢理白か黒かにおきかえようとするようなものでしょう。
そうして、美しい世界はモノトーンの「憂い」の世界に変貌してしまう。
それは、「時として不幸」なことであり、もったいないことです。


2、己の潜在的価値可能性
潜在的な可能性をあきらめるか、あきらめないか、それが生死を分かつ場合もあります。
『パルス』の主人公は突然真っ暗な場所に追い込まれ、ひとりぼっちになり、パルスを弱らせていきます。
そんな切迫した状況のなかにあって、彼は「ボクはボクを見捨てない」と「強い心」を持ち続けました。
そして、最後には「黒い壁が崩れ」、彼は光のもとに戻ってきます。
ここで、彼は自分の潜在的な可能性、潜在的な生命力を顕在化させました。
彼が自分自身を見捨ててしまったなら、その時点で彼の潜在的な生命力は切り捨てられたでしょう。

人間は、成分的には何の薬用効果もないプラシーボ(偽薬)を飲むだけで、元気になれることもあります。
私は治る!と強く思うだけで、潜在的な治癒能力を目覚めさせることができるのです。


大学時代に心理学の教授が「勿体」を知るということについてこんなふうに話していました。

私たちが「勿体」(隠れた才能や個性)を知るためには、まずやりたいかな、と思うことを一生懸命やってみることだ。そうして、もったいに触れれば、それが生きがいとなり、どんなにやってもやっても飽きずに楽しめる。しかし、もしも飽きてしまったら、それはその人の「もったい」ではなかったということである。


教授が言うには、「もったい」というのは、やってもやってもそれに飽きない時に知るのだそうです。


『白い火花』で稲葉さんは、「頭の中」で「人生のプラン」を「想像」してるだけじゃなくて「白い火花」のように白熱して、やりたいと思ったことを、とにかくやれと歌っています。
「陽の当たる場所に続いていく道を自ら塞いでいる」んだとしたら、そんなの「もったいないね~」と。

「一生懸命生きている」という『Fly The Flag』、
「とんでみせろ」「やってみせろ」と自らを叱咤激励する『イカロス』の主人公。
彼らは、自分がやりたいと思ったことを、「一生懸命」やっているだけです。
それが、自分の隠れた才能や個性を探すことなのではないでしょうか。

『X』では、「誰にも決められないあなたの価値はいつかわかるでしょう」と歌われ、ここでもやはり、人間の潜在的な価値可能性が示唆されています。
またそれは、「無限の可能性 未知の未来」とも表現されます。
「何もかもがX」とは、捉えようによっては「暗い世界」のみを想起させますが、そこには同時に、Xであるがゆえに、いかようにもそれを変えていける潜在的な可能性があるということが、示唆されています。

『Sanctyary』の主人公が探して始める誰にも侵されない自分だけの「Sanctuary」とは、 まさに、己の潜在的な才能が他者には不可侵の聖域であることを象徴的に表す言葉だったのではないでしょうか。

彼は、自分が「選ばれし者」でもなく、「不思議な力」をさずかったわけでもないことに気付いています。
彼には超人的な力などありません。
しかし、「この胸の奥、望みは沸いてるから」という言葉が示すように、秘められた自分だけの潜在的な力をあきらめているわけではありません。
彼は、「決して遅くはない旅に出てもいいころ」と、可能性への旅に出発します。

この『Sanctuary』の主人公が目指しているまだ見ぬ聖域とは、『FEVER』で言うなれば、「未開の土地」であり、「まだ眠ってる敏感なSPOT」であったのでしょう。
(このあたりはダブルミーニングになってるので、楽しくなっちゃいますね。)


3、あえて破滅し、再生すること。

「未知の力」を探す旅に出るのは、勇気のいることかもしれません。
特に、自分の才能で築きあげてきたものが存在する人には新たなスタートというのはきりづらいのではないでしょうか。
たとえば、『WAKE UP,RIGHT NOW』に「あなたが僕に抱いているイメージを越えさせてよ」とあったように、すでに築き上げられた強固なイメージを乗り越えようとすることは、難しいことなのかもしれません。

だから、過去に自分が築いてきたものもあえて捨てて、あえて破滅し、新しいスタートを切るという技が必要となってくるのでしょう。
『THE CIRCLE』にて求められている「未知の力」が、「破滅と再生の技」であると表現されていることは、 注目するべきです。

『Sanctuary』では「ぶちこわせるかい」「全部なくせるかい」とあり、すべてを破滅させてから、聖域を目指す「旅に出」ようとしています。
才能を開花させて成功したことが描かれてる作品にソロの『Overture』がありますが、この主人公も、自分自身で何かをいったん終わらせることによって、新しいスタートをきろうとしています。

そして『THE CIRCLE』を最後に飾る『Brighter Day』では、主人公は自分が大切にしてきたものを失い、「すべてが終わろうとしていた」と言います。
「すべてが終わろろうとしてた」からこそ、彼は「輝ける日々へと続く道を見つけた」とも言えるでしょう。

※追記(2017年3月17日)
『THE CIRCLE』で確認した“生きるためにあえて終わらせる、破滅する”という考え方は、2017年の「CHUBBY GROOVE」の中にも色濃く見ることができます。(「CHUBBY GROOVE」考察 参照


2005年5月1日初掲載したものを2017年3月9日に再掲載した。

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