「シラセ」試論 内在化する「あなた」

知らせを聞いて、人は“ああ、そうなんだ、”と今まで気づかなかったことに気付きます。
シラセとは、気付きをもたらすものです
「シラセ」の語り手は、シラセを受け取り、あることにはっきりと気付いていきます。

「陽は昇り 何もない朝
風が吹いて 何か囁いた
なぜだろ 感じてる
あなたのぬくもりを
これは淡いゆめなの?」


時は「朝」、後半に「揺れるカーテン」「遠くから聞こえるクラクション」とあるので、場所は部屋の中です。

「あなた」は今、物理的には語り手のそばにいません
物理的にそばにいないのに、その「ぬくもり」や「声」を感じてしまうから、語り手は「なぜだろ」と繰り返し不思議がります
(※実際に物理的に「あなた」と共にいることを奇跡のように感じている作品として解釈することもできます。そのほうが一般的な解釈なのかもしれませんが、私は人生経験上、内在化説を提示します。)

「何にもない朝」ですから、本当に彼にとって「何にもない朝」なのでしょう。
予定もないし、余計なものも何もないのでしょう。
「CHUBBY GROOVE」というアルバム全体に、予定も何もかも放り投げて、やめたり捨てたりするモチーフがゴロゴロ出てきますから(「CHUBBY GROOVE」考察後編 参照)「シラセ」もまた何もかも手放した後の、「何にもない」状態なのだろうと思います。

そして、何かを手放せば、何かがやってきます。
何かを捨てて、やめて、バイバイすると、何かが始まったり、何かに気付いたりしていくのが稲葉さんの歌詞の特徴の一つであり、これが今回の「CHUBBY GROOVE」でも色濃く見られます。


何かを手放して「何にもない朝」、開いた窓から風(シラセを告げるもの)がやってきます。

「風が吹いて 何か囁いた」

風が囁いたものを、彼は「シラセ」として受け止めます。
風の囁き(シラセ)を聞いたあと、彼は次のような気付きを得ます

「なぜだろ 感じてる あなたのぬくもりを
これは淡いゆめなの?」


「あなた」は物理的にはそばにはいません。だからぬくもりを感じるわけがないのです。しかし、今、彼は「なぜ」かぬくもりを感じています。
「淡いゆめなの?」と思うほど、それは不思議なことなのです。
彼は、「あなた」が自分の心の中に内在化していることに次第にはっきりと気付いてきます
この段階では、まだ「ゆめなの?」と思っていて、確信はしていません。

内在化、というとカタイ感じがするかもしれませんが、稲葉さんの言葉をお借りすれば、「胸の中にだけオマエがいる」(「SHINE」)と同じことです
語り手は、離れていても「あなた」が心の中に存在していて、まるですぐそばにいるかのようにその「ぬくもり」を感じている、そういう自分に気付いていくのです。


「話したいこと 山ほどある
でもいつでも 気づくのが遅い
なぜだろ 今ごろ あなたの声を聞く
ほんとう、きっと」


ここでも繰り返し別の表現で示されています。
今、彼は「あなた」に話したいことが山ほどあります。でも気付くのが遅かったと言います。
すでに「あなた」はそばにいないから、実際に話すことはできません。後悔しています。
しかし、「なぜ」か、あなたと離れた「今ごろ」になって、「あなたの声」が心に聞こえています。
まるで「あなた」がすぐそばで語っているかのように感じられるのです。

「ほんとう、きっと」という言葉を使うとき、私たちは何かを確信しています
これは語り手の確信です。
なぜか「あなた」の声が「ほんとう」に聞こえてくる、そうだ「ほんとう」に心の中に「あなた」がいる、「きっと」いる、という確信なのでしょう。


「ほんの少し 揺れるカーテンも
遠くから 聞こえるクラクションも
なぜだろ こらえきれず
あなたを呼んでしまう
これからはずっと一緒」


吹いてくる風に揺れるカーテンにも、遠くから聞こえるクラクションにも、彼はシラセを受け取り、気付かされてしまいます。
何を見ても何を聞いても、繰り返し同じことに気付かされるのです。
今、自分の心の中に完全に「あなた」が内在化しているから、「これからはずっと一緒」なのだということに。

「これは淡いゆめなの?」という戸惑いから始まり、「ほんとう、きっと」という確信へ、さらに「これからはずっと一緒」と断定していくところに、次第にはっきりと気付きを得ていく語り手の心の推移が示されています

稲葉さんの歌詞では、結ばれるだけでなく、離れることでも人の絆が強くなっていきます。
ちょっと思い返してみても、「arizona」、「Brotherhood」、「SHINE」、「BUDDY」など、まだまだ挙げきれないほどありますが、それらの作品において、やはり語り手は対象を心に内在化させています。

物理的にそばにいないからこそ、引き離されることなく「ずっと一緒」にいられる、とも言えます。
自分の外部にあるものとは常に引き離される可能性がありますが、心に確かに存在するものは、もう自分の一部なのですから。


2017年3月14日 up date

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