赤い大地への憧れ 第一章「まだ見ぬホテルへ」解説に触れて

本稿では、稲葉さんの歌詞に色濃く見られる赤い大地への憧れについて考察しています。



第一章 『まだ見ぬホテルへ』解説に触れて

平成15年5月に稲葉なおとさんのエッセイ「まだ見ぬホテルへ」が新潮社から刊行されました。
稲葉なおとさんは、B'zの稲葉浩志さんの従兄弟にあたる方です。
そしてこの新刊「まだ見ぬホテルへ」の解説を稲葉浩志さんが書いていると知って、私はさっそくなおとさんの本を入手しました。(本稿は2003年に書きました。)

解説を読んでまず私が興味を惹かれたのは稲葉浩志さんが自身の「一人旅」について述べる箇所で、アリゾナやネバダの赤い大地への憧れを語っていらしたことでした。

今回は、稲葉浩志さんによる『まだ見ぬホテルへ』(稲葉なおと著)の解説に触れながら、稲葉浩志さんの赤い大地への憧れについて考察していきます。

第一章では『まだ見ぬホテルへ』を浩志さんがどのように解説しているかを分析し、第二章以降に扱う問題を提示していきます。


1、作詞家の感性
稲葉浩志さんはまず、一級建築士であるなおとさんが文筆活動までしていたという事実に驚いたあと、「まだ見ぬホテルへ」の内容を簡単に紹介しながら、「このエッセイ集の最大の魅力」が「読んでいるだけのこちらまで、同じように心臓がドキドキして、彼の行く末が心配でしょうがなくなる」ことにあると解説しています。

解説とは文字通り、本の内容や魅力が端的に書かれていなければなりません。
しかし、これは必要最低限のことであり、もしもこれだけで解説がすんでしまうなら、誰が書いても似たりよったりの内容になってしまうことでしょう。

優れた解説者とは、自分自身の主観や人生観を自然とにじませることによって、その人ならではの味のある解説が書ける人のことだと私は思います。
他人の作品を語りながら、押し付けがましくない程度に自然に自分自身を語ることが出来る。そういった解説は、書いた人の人間味を感じることもでき、読んでいてとても楽しいものです。
私は浩志さんの文章を読んで、彼ならではの解説だと思う箇所をいくつか見つけました。


「ページを繰っていくと、さすが、と思わせる記述をいくつも見つけました。専門分野だけあって、ホテルのエクステリア、インテリアなどの描写が上手い。彼が見た光景が頭に浮かびます。でも、それは建築に限ったことだけではないようで、人を観察することも得意なのか、それぞれの旅先で出会う登場人物たちの表情や仕草もいきいきとしている。」


「さすが」と浩志さんが思ったのは、なおとさんの「描写」を読むだけでその情景や風景が自然と読む側の頭に浮かんでくるということです。
浩志さんは、言葉によっていかに物事や人の感情を表現するかということに着目しながら、このエッセイを読んでいたのでしょう。なんとも作詞家らしい感性ですね。
言葉によって、いかに聞く(読む)人に歌詞の世界観を伝えるか。そういったことに作詞家稲葉さんが常に気を遣っていることが、この解説からは伝わってきます。

2、文章のリズム感
作詞、作曲、ヴォーカルを担当されている稲葉浩志さんだけあって、さすがに散文の文章のリズム感も抜群だと感じました。
極端な例ですが、たとえば文章の末尾が、「~でした」、「~でした」、「~でした」など、毎回毎回同じ「TA」音だと、読んでるほうは単調な文章に飽き飽きしてしまうものです。
しかし浩志さんは、同じ末尾を続けて2回以上使わないようにしているようです。

解説の冒頭、8行内の文章末尾を見てみましょう(お手元に本がある方はご覧ください)。
「~でした」、「ですから」、「~いました」、「~たのです」、「~がある」という具合に、次々と末尾を変化させています。この変化が、文章に生き生きした印象を与えています。
通して読んでみると、全体がとてもリズム感の良い文章になり、浩志さんの思いが、よりスムーズに伝わってくるように思います。

3、稲葉浩志さんの実感
浩志さんは、この解説で稲葉なおとさんの人物像にも触れています。
「なかなか大胆な人」でありながら、一方で「傷つきやすい旅人」、「ナイーブな人」であるというのが浩志さんが解説するなおとさんの人となりです。
私は浩志さんが解説するなおとさんのこの人物像が、浩志さん自身にもよく似ていると感じました。

ライブでの大胆不敵な浩志さんの姿と、口数少なくうつむき加減にしている姿のギャップ。
B'zの歌詞の語り手の奔放さと、物静かで傷つきやすそうなところのギャップは、「大胆な人」かつ「ナイーブな人」であるというなおとさんの人物像にそのまま重なるのです。
そんななおとさんの気持ちが、浩志さんには手にとるように伝わっているようです。

「絶望と挫折、そして不安が繰り返される展開の中で、また僕は自分が主人公であるかのような錯覚に陥っていたのです。」

大胆だけれど傷つきやすくもある旅人なおとさんに感情移入し、まるでそれが自分自身であるかのように感じる。浩志さんは、なおとさん(主人公)と自分自身をオーバーラップさせています。


「確かに、普通の人と比べれば、彼はホテルに泊まり慣れているのかもしれません。
でもやっぱり、言葉や習慣の違う国で、どこか不安を感じている。自分の不注意から体調を崩して、不安になったり、他人の言葉に傷ついたり、逆に思わず口にしてしまった一言を悔やんだりもする。一人旅というのは、多分そういうものなんでしょう。」

この文中にある「彼」とはなおとさんのことですが、最後の一文に浩志さん自身の実感がこもっていることは、言うまでもありません。
「僕もレコーデイングやツアーの合間を縫って、一人旅に出ることがあります」とあるとおり、浩志さん自身も、一人旅の経験者であり、また、旅で傷ついた経験があるようです。


「僕もそれほとタフじゃないから、少なからず不安はある。でも、やめられないんです。
途中でどんなにイヤな経験をしても、いつの間にかそれを忘れて、旅へ出てしまう」


「ホテルに泊まり慣れている」けれど、「でもやっぱり(中略)どこか不安を感じている」のも、「自分の不注意から体調を崩して、不安になったり、他人の言葉に傷ついたり、逆に思わず口にしてしまった一言を悔やんだり」するのも、全て浩志さん自身の体験から生まれた実感であり、浩志さんは自分自身の実感となおとさんの気持ちを重ね合わせて語っているようです。

 “最初になおとさんの気持ちありき”、ではなく、“最初に自分自身の気持ち・実感ありき”で浩志さんは解説をしてらっしゃいます。
それでいながら、ちゃんと、なおとさんの作品解説になっています。
なおとさんの気持ちを勝手なコジツケで推測するのではなく、自分自身の気持ちと照らし合わせながら語っているため、文章に説得力があります。


それではそろそろ、本題に入りたいと思います。
稲葉浩志さんが自分自身の「一人旅」について解説した箇所を見ていきます。


4、赤い大地への憧れ

「昔からアリゾナやネバダの赤い土が好きで、あの砂漠を見たいがために、たった一人で出かけてしまう。
現地でレンタカーやバイクを調達して、それに跨って、延々走り続けるだけの旅です。(中略)
観光地なんかには見向きもせずに、ただ、それを繰り返す。
東京では絶対に出会うことない非現実的な世界とそこで過ごす時間に、僕はひたすら憧れているんです。」

浩志さんのソロ作品『arizona』を思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。
『arizona』には、まさに「延々走り続けるだけの旅」の場景とそこで感じたことが歌われています。

辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあったとき、人はそこからの解放を求めて、しばし日常を忘れるために、ひたすら食べたり、飲んだり、遊んだりします。
大声をあげてひたすら泣き叫ぶ人もいれば、ひたすら趣味に打ち込む人もいる。
ひたすら眠り続ける人もいれば、長かった髪をばっさりとショートにする人もいるでしょう。
そして、稲葉さんのように、ひたすらバイクを飛ばしたいと思う人もいるのですね。

人それぞれ違いはあれ、人は辛いとき苦しいときに、何かを過剰にすることによって苦しみの浄化を期待します。
たとえばヤケ食いが悩みの根本的な解決にはならないとしても、ヤケ食いをすることによって、何か気持ちがすっきりすることはあるでしょう。

『arizona』の主人公は、愛していた人と別れた苦しみや痛みに押しつぶされそうになっていました。
彼はアリゾナに旅立ち、バイクで広大な大地を延々とひたすら駆け続けることによって、苦しみが浄化されることを期待していたのではないでしょうか。

「東京では絶対に出会うことない非現実的な世界とそこで過ごす時間に、僕はひたすら憧れているんです。」と稲葉さんは書いていますが、「非現実的な世界とそこで過ごす時間」に憧れる気持ちもまた、誰もが感じたことがあるのではないでしょうか。

日常のしがらみに縛られて悩んでいる時には、知り合いもいない、自分の名前を呼ばれることもない、誰も追ってくることのない見知らぬ場所はそれだけで魅力的です。
また、何億の月日をかけて大地を削ってきた赤き大河の大きさを目の当たりにして、己の悩みの小ささを知った『赤い河』の主人公のように、大自然に比べて自分の小ささを実感することは救いになることでしょう。

『赤い河』の主人公は、都会の日常生活では遭遇することのない「非現実的な世界」に触れることによって、ある種の安らぎを得、「限られた自由を叫びまくろう」という気持ちを取り戻して日常世界に帰っていきます。

しかし、いかに己の悩みの小ささを知ったとしても、人はそう簡単に悟りを開けるわけではありません。
再び日常生活に帰っていけば、いつしかまた日常のしがらみの中に埋もれ、再び悩みや葛藤を抱かずにはいられないでしょう。そしてまた、「非日常的な世界」に憧れ、旅に出かける。
もしかしたら、稲葉さんはそんな繰り返しをされているのかもしれません。


5、走り続けた先に
苦しみの浄化を求めて、ある行為を過剰にするということについて述べましたが、稲葉さんの歌詞には、さらにその先の段階があります。

稲葉さんの歌詞の場合、主人公は過剰行為の先で、自分の中の大切なことに気付いていくのです。
『arizona』の他にも浩志さんは、“大地を駆け抜ける旅”をテーマにした作品を書いています
いくつか例を挙げると、『MR.ROLLING THUNDER』、『WILD ROAD』、『赤い河』、『愛なき道』などです。
これらの作品では、日常生活のしがらみや、人間関係における辛さや悲しみに埋もれ、自分にとって何が大切であるかを見失いかけていた語り手が、赤い大地を駆けることによって、自分の中で輝きを放つ大切なことに気付いていきます

これらの作品において、悩める主人公は、最終的に明確なある一つの大切なことに気付き、生きることへの希望や気力を獲得していきます。

次章ではこれらの作品を詳細に見ながら、語り手が到達するある一つの大切なこととはいったい何なのか、赤い大地への憧れとは何なのか、さらに深く突き詰めていきます。

第二章 赤い大地からの再出発に続く。

参考文献
『まだ見ぬホテルへ』(稲葉なおと著 新潮社 2003.5)

2003年6月16日に掲載したものを、2017年3月15日に再掲載した。

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