稲葉浩志が「会いたい」と歌うとき

「会いたい」という言葉が好きだ。
誰かに会いたいと言われるのも、稲葉さんが歌うのを聴くのも好きだ。
「また会いましょう」でも「会えたらいいね」でもなく、「会いたい」と人が言うとき、そこには今すぐに会いたいという切実な思いがこめられていると思うからだ。

ここでは稲葉さんが「会いたい」と歌っている作品について考察していく。
考察の終盤で「Man Of The Match」を軸に稲葉歌詞のマゾ的な傾向についても触れる。
マゾ的傾向が「会いたい」と言うときの切実さと切っても切り離せない要素だからだ。

稲葉さんの歌詞で「会いたい」という言葉そのものは、そうそう出てこない。
「会いたい」という言葉がとても大切に使われている印象がある。

「会いたい」という言葉が出てくるB'z、稲葉ソロの曲を年代順に並べてみる。(2017年3月現在)

1、「ALONE」(91年)
2、「あいかわらずなボクら」(91年)
3、「ZERO」(92年)
4、「僕の罪」(92年)
5、「もうかりまっか」(94年)
6、「夢見が丘」(95年)
7、「shower」(97年)
8、「May」(2000年)
9、「ここから」(2007年)
10、「DAREKA」(2011年)
11、「photograph」(2014年)
12、「Man Of The Match」(2016年)

これら十二作品に共通するのは、主人公たちがかなり切実な思いで「会いたい」と口にして(思って)いることだ
主人公たちは何かとても大切なものを喪失しているか、対象に会わないとどうにかなってしまう状況にある

もっとも、「会いたい」という文節には希望の助動詞があり、そもそもそこに願望がすでに含まれている。
「会いたい」という言葉の切実さは稲葉さんの歌詞だけの特徴ではないということはあらかじめ明記しておく。
加藤ミリヤもゆずも沢田知可子も、その他のミュージシャンも、会いたいという言葉を切実な思いの表現として用いることがある。

それでもやはり稲葉さんの歌詞の「会いたい」は主人公たちにとって特別な言葉であるように思える。
稲葉さんの歌詞で「会いたい」という言葉は、切実な思いを募らせた主人公が、失った人(亡くなった人)、会うことが許されない人、なかなか会えない神のような人、自分を生かして救済してくれる稀有な人に対して向ける言葉だからだ。


以下、順番に十二作品を見ていく。


1、「ALONE」(91年)
恋をした途端、相手の思いが急に分からなくなり、人は孤独を感じる。
「ALONE 恋に落ちてゆけば ああひとり」とはまさにそのことである。
こうした了解不能の他者に会って立ち尽くすという意味での「ひとり」と、実際に「君」が去って行ってしまったことで感じる孤独が重ね合わされている。
その喪失感は繰り返し「ALONE」と歌われる。
「いつか時代がまわり また君を見つけるだろう」とは、遠い未来のことか、来世のことなのか。
いずれにしろ今は君に逢うことが許されていないことを物語っている。
だからこそ、「今君に逢いたい」という強い思いが溢れてくるのだ



2、「あいかわらずなボクら」(91年)
「立てなくなるほど考えこむより 行こうよ行こうよ自分を叫ぼう」と主人公は言う。
誰かを鼓舞するようでいて、自分自身を奮い立てるような口調である。
主人公はやはり生きづらさをどこかで感じているのだろう。
そこで溢れてくる思いは次のようなものである。

「大好きな人に会いたいときに会えればいいのにね」

曲調が明るく作品世界はのんびりとしたムードではあるが、今すぐには会えないからこそ溢れてくる強い思いとしての「会いたい」なのであろう。


3、「ZERO」(92年)
主人公は「都会の暮らし」に嫌気がさし、自己嫌悪に陥っている。
自暴自棄な思いもこみあげてきている。
何もかもぶっ壊して(ぶっ壊されて)ゼロになりたがっている。

「どうすりゃいいのヘンになりそう ネオンで空が曇ってる夜は
何をどこまで信じればいいか 君が僕に教えてよ
今あいたい すぐあいたい 砂漠の真ん中で」


「どうすりゃいいのヘンになりそう」という危機的状態に追い込まれて、彼は「君」に魂の救済を求めている。「今あいたい すぐあいたい」と彼が言う、その切羽詰まった切実さが伝わってくる。
ところで、稲葉なおと著『まだ見ぬホテルへ』の解説 (赤い大地への憧れ 参照)を読むと、稲葉さんが「砂漠」という言葉をサハラなどの砂漠だけでなくアリゾナの赤い大地を指す言葉としても使っていることが分かる。B'zのアメリカへの強烈な憧れがあふれていた時期でもあるし、「ZERO」の砂漠もアリゾナあたりの砂漠なのだろう。


4、「僕の罪」(92年)
別れてから「時は十分に過ぎてない」のに、「やめた煙草に手をだすよう」な罪悪感を胸に抱きながら、主人公はかつての恋人だった「君」に「電話をかけて」しまう。

居心地のいい場所だけを 探して歩くやつなのか
心の隙を縫いながら 言葉があふれてくる
「あいたい」


彼は「僕の罪」を強く意識している。
彼の中では「君」はまだ会ってはいけない人、会うことが許されない人なのだ。
しかしそれでも、と言うか、だからこそ、と言うのか、「あいたい」という切実な気持ちが「あふれて」くる。


5、「もうかりまっか」(94年)

「もうかりまっか あきまへんわ
まさおが借金ふみたおして
とんずらこいてもうたらしいわ
こんなときゃ なんでも好きなよに
やらしてくれる かわいい女に会いたいね」


ふざけたムードの曲だが、まさおが借金をふみたおして夜逃げしたり、田中はんが「メシの食い過ぎで 腹をこわしてホスピタル」に行くなんて、たぶん本当はとてもまずい状況だ。
バンド活動の今後が危ぶまれる。実際に起きたらこれは割と笑えない話だ。
その笑えない現実をあえて笑ってみせて狂ったようにはしゃぐ、そうでもしなければやってられない、それが7thの主人公たちだ。(「The 7th Blues」喪失からの再生 参照)

主人公自身も「あきまへんわ」な状態である。狂ったように叫んでもいる。
彼は救済を求めて、「なんでも好きなよにやらしてくれる」女に「会いたい」と言う
しかし、己の全てを許して救ってくれる女にはなかなか会えない。
おいしいものを食べて元気を出そうとはするのだが、どうしようもない現実に最終的には狂ったように叫びまくるしかないのだ。
(本来笑いごとではない現実を主人公と一緒にあえて笑いながら聴くのがこの曲の楽しみ方なんだ、たぶん。)


6、「夢見が丘」(95年)
主人公は「嘘のない言葉は誰かを深く 永遠に傷つけてゆくの」ということが気になっている。
素直に自分の思いを表現することで誰かを傷付けてしまうかもしれないと思っている。
だから「会いたい 嗅ぎたい 抱きたいよ」という切実で素直な思いを抱いている自分について、とにかく彼はいろんなことを考えてしまう

「先生」の言葉は自分に何を伝えたかったのかとか、大地は「ヒトノヨロコビカナシミ」を知ってはくれないとか。分かり合えない、という思いが強くなっていく。
素直な自分の思いの前で「うろたえ」たり、分かり合えないことに愕然としたり、「本当に優しくなれるのは」過去を振り返る時だけだな、と思ったりする。
そんなふうに、自分はどうしたらいいのかというテーマで彼は考えまくっている
考えていった末、彼は素直な思いをあるがままに感じながら生きることを選ぶ。

「正しいの間違ってるの 今の僕には何も言えない
はかない時を抱き締めあおう」


彼は今、「正しい」か「間違ってる」かという二項対立的な思考を脇に置き、あるがままに「はかない時」である今を生きようと決意している。

「ここに登って世界を見渡せば 
僕はいつも自由になれる
生まれた時に誰もが持っている
聖なる心の丘よ」


「夢見が丘」とは「生まれた時に誰もが持っている 聖なる心の丘」だ。
生まれた時、人はどんな価値判断もしない。赤ん坊は正しいか間違っているかなんて考えもしない。悲しければ泣き、嬉しければ笑う。あるがままに自分の気持ちに素直に生きている。そうすることでとても「自由」でいられる。
「夢見が丘」に立つとは、自由にあるがままに感じながら生きることなのだ

彼は「会いたい 嗅ぎたい 抱きたい」という切実で素直な思いを、ただあるがままに感じながら生きていくことを選び、「君の手」をとったのだ。


7、「shower」(97年)

「時間がね できたらね もう一度会いたいと
ウソじゃなく感じてた でも僕はおそかった」


主人公は過去をふりかえって、「君」にもっとこうしてあげればよかったと激しく後悔している。
「もう一度会いたい」と思っていたと彼は言う。
しかし、彼は「君」を失ってしまった。会いたくてももう会えない。
過去の思いと今の思いが重ね合わされるように、「もう一度会いたい」という切実な思いが歌われている


8、「May」(2000年)
過去に共にいた「君」にもう一度会いたい。そんな思いから主人公は「君」の夢を見る。
しかし夢で会えても現実では会えない。
その夢(理想)と現実の落差に彼はまるで五月病のように苦しんでいる。
今彼の心を占めているのは「会いたい」という切実な気持ちだ。

「もう少し一緒にいたかった
うまくやれるような気がした
そんなことはどうでもいい
ただもう一度 会いたいんだ
笑ってくれれば 僕の世界は救われる」


彼女が笑ってくれないと主人公は許されないし、救われない。
彼は「君」に会わなければならない。なんとしても会ってその笑顔に許され救われなければならない。
しかし会えないのだ。会えないからこそ「会いたい」という思いが苦しさとともにこみあげてくる。



9、「ここから」(2007年)

「会いたいときに その人はもういない
そんな苦しさを知りながらまた出会う」


ここでも「その人」にもう会えないからこそ、「会いたい」という思いが切実なものとなっている。
この作品は、誰かを傷つけたことを悔み、あやまちを犯したことを思うと「時を戻したいと思」うが、それはできないから、常に今「ここから」始めていくしかない、という内容だ。
だから彼の「会いたい」には、後悔の気持もにじんでいる

人は「記憶をたよりに生きている」から、記憶に心が左右されてしまう。
それでも後悔、あやまち、それら全ての記憶をひっさげて「ここから」生きていくしかないのだ、と彼は心に決める。


10、「DAREKA」(2011年)
「一人でいるのが楽ちん」だと思っている主人公は、「会いたいなんてセリフ 一度も言ったことない」と言う。
しかし、彼は「一人きりじゃ何も意味がない」ことに気付いている。
そして「どこかで会えると信じたい」とも言っている。
ともに生きていく大切な誰かがいなければならないし、そういう誰かに会いたいのだけれど、「会いたい」と言葉にするのは勇気がいる、というわけだ
ここでは実際に主人公は「会いたい」とは言えないが、むしろ共に生きる誰かに会いたいという切実な思いを物語っていると言えるだろう。
「会いたい」という言葉がかなり特別なものなのかな、と感じた作品だ。


11、「photograph」(2014年)
亡くなった大切な人への気持ちが表現されている。
主人公は手帳に隠してある大切な「あの人」の写真を見て、思いをはせる。
亡くなった人の遺品を手にとる時はきっと誰も胸が苦しくなる。
主人公は「あの人」がかつて読んでいた本を手に取り、「勇気をしぼってページをめくってみる」。
「あの人は」何を見て、何を考えていたのだろうか、そんなことに思いをはせる。

「もう一度会いたい たったそれだけ」

もう二度とかけがえのない「あの人」には会えない。
そのかけがえのなさを胸に抱いて、彼の心は「会いたい」という思いばかりで占められていく



12、「Man Of The Match」(2016年)
主人公は勝利を決めてお立ち台に立つ「誰か」に「気持ちを重ね」ている。
彼が最終的に求めているのは、お立ち台の選手のように、輝かしく生きることだ。
彼はそのために、緊迫した状況に追い込まれたり、理想の相手にボロボロにされることが必要だと言う。

「手が届かないような
素敵な貴方に会いたい
とんでもない努力
やりたくなるような相手に
痛めつけられぼろぼろにされたい」


マゾヒズム的で、「ギリギリchop」(99年)を彷彿とさせるような作品だ。
稲葉さんの歌詞にはその初期(「GIMME YOUR LOVE~不屈のLOVE DRIVER~」「VAMPIRE WOMAN」90年)から
一種の動物的な悪女への嗜好や、マゾヒズム的な傾向がみられるが、それらの要素が含まれるこれまでのほぼ全ての作品は、最終的に自分自身の生命力を確認することへと向かっている

好んで責められ滅んでボロボロ、ああ嬉しい、では終わらない。

(そもそもマゾヒストというのは本来、死の恐怖に通常以上に敏感な者たちだ。
マゾヒストは、むしろ死にたくないから懲罰を与えられることで、死を部分的に先取りする。そうすることで未来に訪れる死そのものの恐怖を緩和しようとしている。
つまりマゾヒストは、自我を心理的に安定させて生きるために、理想の対象に責められることを望む生きやすく生きるためにぼろぼろにされることを望む、というわけだ。
※稲葉さん自身のことをそうだと主張しているのではありません。)

強者である「素敵な貴方」に会うことによって、その魅力を見出すと同時に、それに対抗しうる自身の男性的な生命力を確認しようとする、という稲葉さんの歌詞の特徴が「Man Of The Match」には直截に示されている。(獣のような強者に会い生まれ変わっていく「IT'S SHOWTIME!!」03年 も簡明な例の一つ。)

主人公は「ユトリ溢れる日々」では生きている実感もわかない。彼が力強く生きていくためには強者としての「素敵な貴方」になんとしても会わなければならない。そういう切実さのこめられた「会いたい」なのだ。


以上、稲葉浩志が「会いたい」と歌う十二作品を見てきた。
稲葉浩志が「会いたい」と歌うとき、その言葉は歌詞の中でかわりのきかない別格の存在に向けられている。

繰り返しになるが、稲葉さんの歌詞で「会いたい」という言葉は、切実な思いを募らせた主人公が、失った人(亡くなった人)、会うことが許されない人、なかなか会えない神のような人、自分を生かして救済してくれる稀有な人に対して向ける言葉なのだ。


2017年3月28日 up date

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