稲葉歌詞の月と女性(初期から2003年)

初期から特に2003年くらいまでの稲葉さんの歌詞において、月は人の心を映し出すものとして描かれることが多くありました。
そのことが最もはっきり示されているのは『今夜月の見える丘に』と『月光』です。

手をつないだら行ってみよう まんまるい月の輝く丘に
誰もがみんな照らし出されて 心の模様が空に映ってる
(『今夜月の見える丘に』2000年)

闇の中から柔らかに月は照らし続ける 少しづつずれながらも 手探りで寄り添い歩く心を(『月光』92年)


『今夜月の見える丘に』の主人公は、「君の気持ち知るまで今夜僕は寝ないよ」と決意していました。
彼は「月の輝く丘」に「君」を誘います。それはまさに彼が「君の気持ち」を知ろうとしていたからに他なりません。
彼は人の心を映し出す月の輝く丘に「君」を連れ出して彼女の「心の模様」を知ろうとしていました。

さかのぼって『月光』の主人公も「正直なわがままをもっと見せてくれ」とあるように、「君」のむきだしの心を見たがっていました。
しかし、「とぎれた薄い雲が 目の前を横切れば 密かにも大きな決心が 今夜もぼやけてゆく」とあるように心を映し出す月に雲がかかってしまうと、「君」の心はますます見えなくなっていきます
月明かりが明るくなったり弱くなったりするたびに、主人公の気持ちは揺らいでいます。

『SKIN』(99年)では、「淡く月に染まる爪に力が入り 僕をもっと引き寄せる」とあるように、女性は月に照らされて、むきだしの愛情をあらわにします。
月光によって爪に力が入るという、動物的とも悪魔的とも言える本質があらわになっていると言えるでしょう。

「月に群れる 雲が散らばり 人の影は際立って」というフレーズで始まる『炎』(02年)も、月明かりの物語です。
雲がはれ、月明かりが増した時、主人公の心ににわかに「君の声が響いて」きます。
月明かりによって照らし出された「君」の心は主人公の心に届きます。

『BABY MOON』(96年)の月は、「オレンジの頼りない」光を放っています。
「BABY, I’m BABY MOON」とあるように、ここでの月は主人公自身の象徴です。
それに対して、主人公が片思いしている女性は「You’re the SUN」」と歌われるように、太陽の光のような強さを持っています。
太陽のような女性の輝きのまえで、月はなおいっそうその光を弱めてしまいます。
「君」の本当の心を彼は知りたいのですが、月明かりで照らすことのできない女性の心は明らかにならないままです。
彼女はただ「かわいく笑っているだけ」の謎めいた存在であり続けます。

女性の心は、会話などの日常的な行為によってではなく、月明かりによって暴かれる。
それはなんとも不思議な、神秘的なことです。

『VAMPIRE WOMAN』(91年)や『Sweet Lil' Devil』(94年)では、自己を超越した“悪魔”としての女性が描かれますし、人の手には負えない猫としての女性が登場する『CAT』(97年)についても同じことが言えるでしょう。

稲葉歌詞の主人公はこうした自己を超越した女性に手を焼いて困らされていますが、『You pray,I stay』(2000年)を見ると、むしろ主人公はそうであってほしいという願いを抱いていることがわかります。
 
踊ってよ月明かりで レースのカーテンの向こうで 手あかだらけにするより あなたのにおいだけでいい

この曲において、主人公と「あなた」は熱愛と破局のギリギリのところにありました。
しかし、この危機的状況下で主人公が望むのは、「あなた」に自分のすぐ近くにいてもらうことではなく、「レースのカーテンの向こう」にいてもらうことでした。
彼はむしろ、女性と一定の距離を置くことを望んでいました。
月明かりで踊る女性。何かそこには神がかり的な、謎めいたものがあります。そして、その神秘的な距離感が、謎が、主人公を渇望させるのです。
主人公は、女性がミステリアスで神秘に包まれた存在として顕現することに、恋を続けることの可能性を見ました
距離感が彼を渇望させ、恋のエネルギーとなっていきます。最初は「You pray,I stay」とあるように、「あなた」任せで身動きできなかった主人公が、最後には「I pray,You stay」と主体変容の意志を示していきます。



このように稲葉さんの歌詞において、女性は卑近な存在ではなく、どこか自己を超越した強い存在、あるいは手の届かない神秘的な存在として描かれることが多々あり、傷つき悩んでいる女性でさえ「裸足の女神」(93年)と讃えられています。
理想的、超越的な女性像は今(2017年現在)も稲葉さんの歌詞にたびたび姿を現します。
「symphony#9」(2016年)はその一つの例です。

しかし、2003年の「ブルージーな朝」を一つの転機として、稲葉さんの歌詞では現実的な女性像も描かれようになっていきます。
この曲には女性の弱さや脆さ、さらには誰かの不幸を探すような卑近な面もありのままに表現されています。
このことについては、リアルな女性像の登場-「ブルージーな朝」で考察しています。

2002/4/10に掲載したものを2005/2/1に加筆修正。
さらに2017年4月18日に修正して再掲載した。

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