リアルな女性像の登場-『ブルージーな朝』

稲葉さんの歌詞に描かれる女性はとても魅力的です。
たとえば『Easy come,easy go』の女性は失恋に傷ついているけれど、「別れにすがって生きる女になはれない」と言い切れてしまう強さがあります。

『裸足の女神』は、失恋の痛みを腹におさめて、明日を見ることのできる女性です。
『泣いて泣いてなきやんだら』でも、女性はすごくへこんでしまっているけれども、最後までプライドを守りぬいて自分を奮いたてることのできる女性です。

女性が主人公の作品に『GO-GO-GIRLS』があります。
この女性は、キラキラしたいかにも女の子という感じの女性でした。
男性のドリームが反映されたアイドル化された女の子だったとも言えます。
この女の子には、こうあってほしいという男性側からの願望が反映されていたのではないかとも思えます。
男を振り返らせようっていう気持ちは女性なら誰にでもあるので、そういう意味では女性らしいのですが、実際のリアルな女性はもし意識的に男を振り返らせようとするなら、一方では他の女の子を蹴落とそうとか足をひっぱってやるとか、そういうどろどろした側面もあるものです。
でも、女性の汚い部分は歌詞に描かれません。

『FUSHIDARA100%』も女性が主人公として描かれてますが、どこまでも男から見た理想の女性像です。強くて包容力があって、セクシーで魅力的な女性。
こういう女性って、稲葉歌詞の男性主人公がいつも恋をしてしまうタイプですよね。
この女性はすごくサバサバしているけど、最終的には情けない男を受け入れて、彼を「自由にしてあげる」ような母のような包容力を持っている女性です。

包容力があってセクシーで、冷たそうに思えて本当は優しい女性であったり、へこたれても自分で自分を奮い立たせることのできる自立した女性であったり、稲葉歌詞の女性たちはとても素敵な女性です。
女である私も是非こうなりたいと思える理想の女性像です。
稲葉歌詞の月と女性 初期から2003年 でもこのあたりのことに触れています。)


稲葉さんの歌詞では、女性よりもむしろ男性主人公のほうが、人間的なリアルさがあります。
人間関係に疲れてにっちもさっちもいかなくなった時の極端なダルさとか、ドロ沼にはまってしまい、自分を受け入れてくれる人を求め、ひたすら甘えたくなってしまう気持ちを稲葉さんはよく歌詞にしています。
曲調はともかく歌詞を取り出したら結構イジケています。

主人公が男性として設定されて稲葉さんが歌っているけど、歌詞には女性的な側面があり、言葉遣い自体も女性っぽい言葉使ってたりするんですよね。
『ギリギリchop』とか『STAY GREEN』の言葉は、『GO-GO-GIRLS』よりよっぽどリアルな女の言葉使いに近いと思います。

だから、私はこれまで稲葉歌詞の女性に感情移入することはあまりなくて、むしろ男性主人公の内面にリアルさを感じ、共感するということが多かったのです。
稲葉歌詞の主人公の男性はそのまま女性になったほうが、むしろ自然なんじゃないかと思えるくらいです。

『J-POP批評 丸ごとB'z大全』という雑誌で、あるライターさんが、なぜ稲葉さんの歌詞は女性にヒットするのかという理由として、稲葉歌詞における女性上位男性下位という構図が女性をいい気分にさせるということを指摘していました。
確かにそういう面もあるのかもしれません。
でも、生々しく弱音を吐く男性主人公のほうに自分を重ね合わせ、共感している人も多いのではないでしょうか。


そしてここへ来て、主人公の性別だけがくるっと反転したような人物が『ブルージーな朝』(03年)に登場しました。
久しぶりの女性主人公です。
フライデー買ってまで不幸な話題探すなんてリアルですね。
でも、そういう不幸な話題を探したくなるっていう感覚はよくわかります。
ドロドロじめじめしたイヤな部分がリアルに表現されています。
この『ブルージーな朝』では、憧れとか理想ではない女性像が描かれています。
リアルな一人の女性が、そこに確かにいると感じられます。

『ブルージーな朝』の歌詞に散りばめられた場景の一つ一つに、稲葉歌詞のいつもの男性主人公が重なりあってきます。

来るはずのない電話を待ち テレビも消さず眠ってた

彼女は現状を変えてくれるものとして電話に期待しています。
そこからは、『さまよえる蒼い弾丸』で「じっと電話を待っている日々」を送っていたいじけた主人公が思い浮かびます。
『LOVE IS DEAD』や『BABY MOON』では、主人公は延々と繋がらない電話をかけてますが、相手と自分の心の距離が離れてしまった時に、電話にすがるという気持ちは、『ブルージーな朝』の女性が、来るはずのない電話を待っているのと全く同じ心境です。

TVを消し忘れて眠り、朝が来ればまたダルい体を起こすという彼女の姿も、稲葉歌詞のいつもの主人公とオーバーラップします。
たとえば「手も洗わずテレビも消し忘れ浅い眠りに揺られ」ていた『Soul Station』や、「ベッドにはりついただるい体を ひきはがすように今日も起き上がる」という『Thinking of you』の主人公の姿とそのまま重なりあってこないでしょうか。

自分に何かが足りないと感じながらも、自分ではどうすることもできないまま、毎日をなんとなく過ごし、どうしようもなくらい心も体もダルくなってしまった時の表現として、テレビを消し忘れて、そのまま朝を迎えてしまうという場景が描かれています。

ああこんな私を誰か受け止めてよ バスが動き出す 見飽きてる景色
ああこんな私を誰かさらっていってよ 雨が降り出した 傘も持ってきてない


「いつまで続く」かわからない「ブルージーな」現状を、彼女は自分で変えようとは思っていません。
「見飽きてる景色」から抜け出して、どこか新しい場所に向かいたいと思っていても、思っているだけで、彼女は自ら積極的に行動を起こせない、というよりは起こさないんですよね。
彼女はこんな自分を誰かどこかに連れ出してほしいと願っているだけです。
よくわかります、この気持ち。

『別冊カドカワ』のインタビューで、稲葉さんはこの曲の歌詞について、「明るい悲しみみたいな感じは曲から影響を受けたんだと思います」とおっしゃっていました。
ものすごく悲しいわけでも、とても楽しいわけでもない。そんな曖昧な気持ちを綴ったのだそうです。

稲葉さんが「明るい悲しみ」と表現したように、彼女は今ものすごく不幸なわけでもなく、雨に濡れた自分にうっとり酔えるような気分にだってなれてしまう。
自虐的な気持ちに浸りながらも、その状況を「気持ちいい」と感じ、自分自身に半分酔ってもいます。
彼女は「ブルージーな朝」というその状況に酔っている自分もそんなに嫌いではないのでしょう。

そして、そんな自分を誰かが「受け止めて」くれることを期待しています。
こうしたナルシスティックかつ自虐的な側面、そして自分を軌道修正してくれる存在を求める姿は、まさに稲葉歌詞の男性主人公の姿ではなかったでしょうか

私はこの『ブルージーな朝』の主人公をあえて女性にした稲葉さんから、失礼な言い方で恐縮ですが、人間的な包容力が強く感じられます。
ひたすら包容力のある強く魅力的な女性を求める子供のような主人公を描き続けてきた稲葉さんが、ここへきてその男性主人公と極めて似通った、弱く脆い部分を持った女性を描いたということは稲葉さんの歌詞において大きな変化であり、一つの転機であったと考えています

“包容力があって、セクシーで、冷たそうに思えて本当は優しい女性”であったり、“へこたれても、自分で自分を奮い立たせることのできる自立した女性”。それは確かに理想です。
『裸足の女神』や『Easy come,easy go』は、励ましソングとして大きな感動を私に与えてくれました。
でも私は同時にそこに悲しみも感じてもいました。なぜなら自分はそんなに強い女性になれないからです。
現実で生きているリアルな女たちには、どうすることもできないこともたくさんあります。
だからこの『ブルージーな朝』で、稲葉さんが女性の理想的な部分だけでなく、弱く脆い部分を描いてくれることで、私を含め、救われた女性は多かっただろうと思います。
少なくとも私はそうでした


「ブルージーな朝」において、男性主人公の中身はそのまま性別だけをひっくり返した女性が描かれたことは、女性も同じ形の弱さ・脆さを持っていること、男も女も相似形だという稲葉さんの眼差しを感じさせてくれました

稲葉さんは、この女性主人公を肯定するでも否定するわけでもありません。
存在をそのまま見つめているだけです。
強く優しく美しいだけじゃない。女性には脆く汚く醜い面もたくさんある。理想の女性像ではなく、リアルな女性を見つめる稲葉さんのまなざしが、この曲にはあります
 

余談として最後に鳴り出した「電話」について。

ああこんな私をあの人はどう思う 電話が鳴り出した 神様に祈る

これまで(2003年現在)稲葉さんの歌詞において、電話が人間関係のもつれた糸をほどいたことはありません。
電話でする会話は何の解決にもなりませんでした。そしてあまりにも事態が変えられずにいると、主人公がいきなりキレて豹変し、自ら現状を打破しようという例のギリギリの心境になっていくというのがいつものパターン。

でも、『ブルージーな朝』ではそれはありません。
女性は自分からは何もしないのに、最後に電話が鳴るのです。来るはずのない電話が、最後に鳴るというのは、とてもドラマチックで印象的です。
このあたりは、「静かな雨」でも見せてくれた稲葉さんのストーリーテラーの視線を感じます。

この曲はハッピーエンドなのかというインタビューに対して稲葉さんは「ここから抜け出してどこかにいけるような感じはしているんですけれど」(『別冊カドカワ』)と答えていました。

いつもの稲葉さんの歌詞だったら電話は鳴らず、“いつになってもこの思い伝わることはない”とかいう残酷な歌詞で締めくくられそうですが、今回、稲葉さんは最後に電話のベルを鳴らして、主人公の女性にそっと出口を用意してあげています。
登場人物の女性に対する優しさのようなものを感じました。



参考作品
『ブルージーな朝』(作詞 稲葉浩志 アルバム『BIG MACHINE』収録 2003)

2003/10/29に掲載したものを2017年4月8日に再掲載した。

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